ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

無駄なこと書いた

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SNS的な、それは赤いポストである。前世紀の遺物のようなしろもの。何がSNS的だというのだろう。人と人とを繋ぐものだから? 交信手段、コミュニケーションの幅をひろげるために人間の創出したもの。或いは言葉の、すなわち意味の堆積としての赤いポスト。腹をひらけばこぼれ出る人々の声。赤いポストもSNSも「想い」の巣窟であり、そして「想い」はいつだって他人の時間を奪います。或いは? 或いはまさに、赤いからでは。赤いからSNS的なのです。めまいの中に潜む赤みを知らない人も結構多い。が、SNSはめまいのようだと述べれば人は何故だか納得もする。何となく納得してくれる。めまい? かもしれないな。赤いポストは道端にある。偶然にも、歩道橋のそばにあります。赤いポストは何かを待っているように映るので、置いてきぼりにされたわけではない。赤いポストの待つもの。脚のない鳥を待ってる、というと何か意味深長でいい感じです。或いは君の遺言を待っている。何故? 死んだ人ほど美しいから、喪に服す女性の数がSNSには多いのだ。

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