ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

風の甘味(散文詩)

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彼女といると愉しかった。風には少し甘味があると真顔で言った彼女のことを、子供のように純白と感じたこともありました。不思議なことに思えたものです。彼女は夜と契っていたから、闇の足りないわけではなかった。でもたぶん、不思議でもないことでした。あの頃でさえ、真昼の街をゆく時も二人は夜を纏っていました。少なくともカタギの人の眼にはそう映っていたと思う。服装や髪色の問題ではなかった。二人の放つもの、見えないけれど見えるもの。おれは半分カタギになっていたけどそうは見られていなかった。二人で歩く真昼の街は、二人とは違うリズムを刻みつつ呼吸していた。愉しかったのを覚えています。よそ者という立場では全てを軽く流せるけれど、それと似たものを感じていた。夜と親しみ過ぎていたんです。二人で一度、駅ナカで食事を摂ったことがある。あれはステーキか何かの店でした。当然のようにビールを飲みだしたおれに彼女は唇を寄せてきた。たぶん見ていた人があるでしょう。じっと見ていたか、そっと眼を逸らしたか。唇を離すと彼女は確かにこんな台詞を吐いたんです。あなたも少し甘いのよ。おれは笑ったはずだけど、覚えていない。風と同じで甘いのかと思わず聞いたかもしれない。二人は夜の優しさを知っていた。暗がりの包み隠すもの、陽の光の暴くもの。でも、光のもとで見つけたものもあったように思える。或いは? 或いは何も見つけなかった。夜も真昼もお互いを見る眼差しが変わらなかったから、何も見つけはしなかった。夫婦のような愛もなかった。理解できないという人もいるかもしれない。互いに恋をし過ぎてたから、夫婦になれるとは思えなかった。それからずっと後のことです。彼女とも別れた後のこと。真夏の夜の路地裏で、ふと感じたものがあって、おれは彼女を信じたのです。風の甘味を少し感じた。

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