ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

幸福小論

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子供は雨を嫌わない。長靴を履けるからです。長靴で水溜まりを踏むだけで愉しくなれるのだから子供はいつも大人より興奮している。興奮状態では、つまらぬことでも笑えるので子供の暮らす世界には幸せの種子が多いのです。幸福感と笑いとは、深い縁(えにし)で結ばれていますから。今の子は余り外で遊ばないけど、昔の子と本質的な違いはないと感じる。幸福のシステムを作るのは感覚重視の非論理的な論理だと思う。が、それはともかくとして、大人になると色々失くすのでそう笑ってもいられないのです。幸せな奴が最も賢いとする見方もありますね。子供とはまた違った種類の天才がいます。悩まない奴、鈍感な奴。勘違いしてる奴。あの子は僕に惚れているから僕と眼を合わせようとしないのだ(笑)賢いといえば賢いし、幸せならばそれで結構。幸せは主観的なものだから、他人がどう思うかなど気にする必要はありません。多少自覚のある人間が、そうなることは難しいと思うけど。あの子が眼を合わせてくれないわけは? 僕の何かを見たくないから。子供にも馬鹿にもなれないというわけです。実際には、あの子が彼に惚れている可能性もゼロではないのに。二、三パーくらいはある(笑)おれもどちらかというとそちら側の人間なので、若い頃は苦痛の多い生活でした。三十代になってから、一つ賢くなったけど。ものごとを余り深くは考えないという技術を学びました。賢明な思考停止。それを学んだ。かなり身軽になりました。真実は大抵は酷薄なもの、だから敢えて知る必要はない。技術なら身につくものです。今ではすっかり前向きな馬鹿となりました。ネガティブ面を克服したら、人は馬鹿になるんです。馬鹿に「なれる」のか、「なってしまう」のか、その答えなら恐らく三つあるけど。……

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