ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

土曜の夜

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土曜の夜を独りで過ごす場合が多い。彼女の仕事のため。最大の理由はこれ。たぶんあと一つか二つ理由がある。それが何かは知らないが、知る必要のないことだろう。仕事とは、人生を築きも壊しもする重大なもの。おれはつゆほどの不満も抱かぬのです。二人で飲めば時間を忘れ、独りで飲めば時間と馴染む。独りで飲むのは何か真面目な営みで、外部との関わりをこういう時に人は見つける。そしてもう一度見つけるのです。幾つかの表面がある。いまこの時を形成するもの。部屋の壁、ドア、天井、眼に映るもの全てが意味もなくこちらを向いているようです。もしくはみんなそっぽを向いている。自分の音に耳を傾け、むしろ自分を失うように、静かに澄んだ時間ばかりがそこにある。時間。とめどなく流れるものは、空白と似てリアルです。死ぬまでの時間のことを、永遠と呼ぶのもありだ。分刻みのスケジュールやのどかな休日、労働者やヒキニート、ヒグマから路傍の草や病原菌に至るまで、みな時の流れのまにまに漂う一輪の花だと思う。最も長い流れのことを時間と呼ぶのです。「いま」はいま滅び、そうして「いま」はいま生まれ出づる。この問題の結論を導きだそうとは思わないが、それは敢えて絶望しようと思わないのと同じこと。おれは多少は変態だけど、でも多少ですからね。

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