ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

夜の断章

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ネオンの灯るその下で、若者がカップ麺を啜っている。店の入居している雑居ビルの壁を背に、しゃがんで、ネオンの色の変わるたびその顔色を赤やブルーに変えながら。彼は誰にも注意されないだろう。ネオンの謳う店の名前を考えたのはおれである。ママだけが知っている。ママの旦那はたぶん知らない。おれはいまでも時々呼び出されてはカウンターを手伝っている。いま店にいる女の子の大半はおれとママとの関係を知らない。古参の二人だけが知っている。ママが三人めの子供を生んでしばらくのあいだ、二人はおれを揶揄してわざとこんな話をした。「ママの赤ちゃんはあなたとそっくりね」あなたというのはおれのことだ。その赤ちゃんもいまでは小学生である。男の子だ。もう恋はしただろうか。若者がおれのほうをちらりと見た。おれはそれを視界の右の隅に感じた。見るというより感じたのである。そちらを見てはいなかった。人の往き来を見ていたのだ。金曜の夜の人の出を。客びきを呼び込みと呼ぶのも一つの欺瞞のような気はする。今夜は少し忙しくなるだろう。呼び込みよりもそれ以外の人間の数が多い。普段はこれが逆のこともしばしばあるのだ。夜も明るい場所だから、ここでは星を見ることはない。いや、あったかな。店に戻った。ドアがあいたので「いらっしゃいませ」という声が間違ってあがった。薄暗い店内のより暗いカウンターの中。ここにある折り畳み椅子は、何となくおれのものということになっている。そこへ掛けた。プロディジーのテクノロックがかかっているが、これは一昔前のものである。そういうことを気にする人間がこの店にはいないのだ。リズムとビート、それが形づくる環境というものがある。内省を妨げる場所、ものごとを余り深くは考えない場所。客はまだ疎らで、指名を貰わずに席に着いている女の子もいた。タイ人のAがこちらを窺っている。こちらでサボりたいのだろう。おれはあの若者のことを考えていた。店の表でカップ麺を啜っている若者。どんな服を着ていただろう? すでに忘れてしまっている。覚えているのは印象だ。田舎のヤンキーという印象。あか抜けなさの醸し出す粗野な気配があった。そしてあの眼。ただの切れ目のような細くて鋭利な感じのする眼。顔は或いはにきびの凹凸(おうとつ)で覆われており、赤かった。凄みがあり、力がある。顔の迫力である。彼は誰にも注意されないだろう。誰にしたって彼に喧嘩を売りたくはない。Aがこちらへやって来た。ママの眼を盗んで。ママはこちらに背中を向けて、自分の仕事をこなしている。Aはおれの足もとにしゃがんだ。カウンターの陰に隠れるため。おれの左の手を握った。日本人とはコミュニケーションの率直さや大胆さが違う。「いま思い出してたんだ」と、おれは言った。「何を?」Aの日本語の発音は悪くない。「十代の頃に出逢った女。歌舞伎町で出逢ったんだ」「歌舞伎町」「おれの生まれは東京だからね」「どんな女?」「Aと似た女だよ。出稼ぎ外国人。タイではなくてフィリピンだけど」「付き合った?」「そんな感じ。おれは彼女に拾われたんだ」Aは怪訝な面持ちをした。「十代の頃?」「まだなんにも知らない頃」「歌舞伎町で何をしてたの」「なんにも。道端でカップ麺を食べていた」「家出した?」「そんな感じかな。家にいたくなかった」「そこで彼女と出逢ったの」おれは曖昧に首を振った。横に振ろうとして、それを途中で思い直したのだ。「そこをどかされたんだ。近くの店の呼び込みに、店の前でカップ麺を食べるな、って」Aは少し笑った。「可哀想」「彼女もそう思ったんだろう。だから彼女に拾われたんだ。行く場所のないおれに声をかけた」「可愛かった?」「Aと似てるからね」Aは笑った。そして素直にその言葉を受け入れた。ママに見つかったら、叱られるのはおれかもしれない。

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フィクション要素も含んでいます。