ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

表現者について

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SNSでは画家とか歌人とか表現者とばかり付き合っていたけど、自由を感じることは滅多になかった。表現者の多くは政治的には左派だけど、実際には等級意識が強くて権威に弱く目下の者に強い。それに本質的には保守的な人が多いです。例えばだけど、新しい表現が生まれたら、それを否定しにかかるのは誰か。誰あろう表現者です。普通の人は別に否定しない。表現者表現の自由を阻む。既存の表現にしがみついている表現者が、若い芽を摘むんです。無自覚に、アートの域に達していないみたいなことを言って(笑)おれ自身、自分を表現者と見なしている人間だから、そういう人の心情が分からないわけではない。だからこんなことを書くのは自戒のためでもある。典型的な人を一人知っています。その人は反権力を謳っていたけど、SNSの風紀委員でした。道徳的正しさの名のもとにある種の表現を否定していた。過激なものや挑発的なものです。一方でいつも目上の人に媚びていました。あたかも目上の人の表現はつねに正しいものであるかのように。悪い人では全然なくて、ただ恐ろしく無自覚な人でした。自分を客観視できない人は、自分を巧く表現できないから、一流の表現者にはなれないんですけどね……
と、今おれは既存の価値観に基づいて、その人を否定したわけだけど、そんな自分を自覚はしてる(笑)ややこしい話ですね。まぁでもそんなわけです。

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