ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

プテロスの片隅で

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「またはそうでなければ、何か再び壊れるだろう。再び? 一度めはイエルの海を見た時だ。あれは記憶を映すからである。ひすい色した水面の映す秘密というものがある。脳と呼ばれる森の深間のその奥に置き去りにした、君の忘れた君があるのだ。イエルの海はそれを呼び覚まし、蘇生させ、そうして君に要求をする。自分を見ろと。自分自身を知らないうちは、夢を見るのもたやすいものだ。君は昨日の夢を失う、永久に。そしてイエルの海と再び対面をする。二度めだ。太古のままの緑の水面。君は自分を保たなければならない。何故? あれは未来を映すからである。明日の君を召喚し、跳ね回らせ、そうして君に要求をする。なおも生きろと。人は未来を知らないうちは、今日を生きてもいけるのである。君の今回失うものは何だろう。人は言うのだ、なかば情けを乞うて言う。試練の前に人間がある、と」
この人もまた植民地の出である。イエルとは植民地の東の地だ。そこに海がある。人を狂わす悪意の海が。私はいずれそこへ行くのだ。理由などない。運命だから行くのである。多くの時間。全て昨日か明日とも言え、長く短い水流である。金曜日、硝子の鉢に亀裂が走る。土曜日には全て壊れる。そして日曜日には全てがもとに戻っている、なにごともなかったように。時間の直線性は見せかけである。ループしているのだ。永遠のさなかでは、小ぢんまりした奇跡を纏う神様が現れる。イエルの海は偶然なのだ、必然ではない。これは一部は彼の言葉からの引用である。植民地から来た彼だ。だがほとんどは私のものである。彼は確かにこう言っていた。
「星の軌道が狂い始めている。何と素敵なことだろう、生きながら惑星直列の奇跡をまのあたりに出来るとは。奇跡は人をいまこの瞬間と結びつける。奇跡とはいまそこにあるもの、君をも含む現在なのだ。イエルの海は偶然ではない、必然である。試練の前に人間がある。ならばその試練とは、人が創ったものではないか」
彼と私の意見は違う。昨日、今日、明日。私はそこへ行くけれど、明日を失くしはしないだろう。何故? ループする音楽を私はすでにみいだしているではないか。私の明日は昨日と同じ。そうでなければ? またはそうでなければ、何か再び壊れるだろう。「君の今回失うものは……」

※ 画像はフリー素材です。

今日は雑記を書くつもりだったのですが、何となくこれが書けてしまいました。楽なんですけどね、こういうのは。抽象度が高いというか。