ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

天使その人

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すれ違っても出逢ってはいないのだろう。人と人とがすれ違う。接近し、互いの呼吸を感じる位置を一瞬占め、そこでつかのま呼吸する。自分のものとするのには、一瞬過ぎて色々と足りない時間。そして互いを離れていく。接近し、互いを掠め、そして離れる。これから出逢う二人もいるが、大抵は出逢わずに死ぬ。互いを知らずそのことを悔やむわけでもない。「その人」は(彼は人からいつもそう呼ばれている)路上や駅でそれらのものを見た。めぐり逢わない人々は互いにとって影である。出逢いを全て奇跡と呼んだ人間もあるだろう。「その人」は奇跡を携えてはいなかった。が、自分のことを奇跡のそばにいる者とこれまでは考えていた。人間よりも奇跡を知っている者と。だが、その認識は改める必要がありそうだ。彼の持つのは言葉だけだが、鞄をひとつ持ち歩いている。それはいつも彼の足もとにある。ある時、彼はこう尋ねられた。中には何が入っているの? 尋ねたのは少年で、少年らしからぬ静けさを纏っていた。彼は鞄をあけてみせ、少年は中を見た。彼は尋ねた。「君はどっちが好きなんだい? 男の子か、女の子か。両方という答えもあるぞ」少年は一瞬、まごついてそれは不意を突かれたようにも見えたが、すぐに自分を取り戻した。そして言った。「全部嫌いだよ」彼はこの少年のために祈ってやったのだ。同様のことを彼に尋ねた人物がもう一人ある。彼に鞄の中身を聞いたのだ。卑しい場所の片隅で。人間の持つ弱さとは時に愛しく時に醜い。が、そのどちらとも違う滑稽な哀しみもある。そこではそれをよく見かけるが、奇跡の数がそこには多い。解せないことだ。だが、そんなものなのだろう。彼は鞄をあけてみせ、そして彼女は中を見た。「なにこれ」「造花だよ。壊れている」「何でこんなの持ち歩いてんの」「君がこれまで咥えた奴はどれくらいいるのかな」「えっ、何?」「どれだけ咥えてきたんだい? 上の口でも下の口でもどちらでも構わない」そして彼女は席を立ったが、彼は彼女のために祈ってやったのだ。彼は夜空を見上げている。そうすることが好きである。見下ろす者は強いのだろう。見上げる者は小さいだろう。夜空は少しやわらかでそれは乳房を想わせる。乳房の柔軟性と微熱を。彼は乳房が好きである。こいつは少しまずい話だ。が、それは何故なのだろう? 彼には分からないのだ。人々は夜の乳房に抱かれて眠る。「その人」は壊れた花を持つ。

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月曜ですね。やだ。