ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

表現者について

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あれですね、表現者というのはどういう人種かということを意外と知らない人が多いなと思う。表現者とはどういう人種か。それはすなわち表現せずにいられない人種です。表現したいことがあるから、もしくは表現することに喜びを覚えるから。おれはたまたま書くことでギャラを貰っているけど、そうでなくとも書きますからね。金のためにも書くし、金を貰えなくても書く。大方の表現者はそうだと思う。金は必要なものですけどね、ただ金の問題ではないんです。表現衝動は理屈ではないですから。中には表現を生活手段とすることを嫌がる人もいるくらいで、実際、賞を獲ったりしているのに介護士をしている美術家を知っています。表現者は金のためにも表現するし、金を貰えなくても表現する。表現者を全く理解出来ないという人は、端的に言えば表現者ではない人です。表現者として生まれてきていない。こう言うと冷たいようだけど、でもそうとしか言いようがないかなぁ。何の才能もない人間なんていないはずですから、その人にはたぶん別の才能があるのでしょう。無理して表現者になろうとする人は、生みの苦しみを知るはめになる(笑)表現者が当たり前に乗り越えているものも、他の或る人にとっては乗り越えられない障害となるんです。そして表現者はそういう人を見下してはいけない。そう思います。

※ 画像はフリー素材です。

薔薇(過去作)

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まじめな話、
朝日のように狂った薔薇を
あばらの奥で養っている。
悩んだりなどしないのだ。
薔薇はハートの色だけど、
砕け散ったりしないので。


※ 画像はフリー素材です。

過去作ですけどね、いま読んでも悪い出来ではないかもしれない。こんなものを書いたことをすっかり忘れてたけど。ナルシスティックというか、かっこつけた詩だと思う。それもコテコテなくらい。

君へ(過去作)

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昔の君を呪うといいよ
今の君など造った奴だ
世界が君を愛さないのは
君が世界のお荷物だから
甘やかしてはくれないだろう
求めたことが間違いなのだ
つまらぬ奴が君を指差し
声を潜めて言うだろう
ああはなりたくないものだ
よくも平気で生きてるものだ
太陽ならばきっとある
エルドラドやら 良い魔女やらも
なのに許しはないらしい
誰が許すというのだろうか
今の君など造った奴だ
そいつを許すのは君だ


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ちょっと暗い詩が続いて申し訳ないのですが、見せたかったもので。昔の作品です。残酷な詩と思われそうだけど、それは違います。厳しいけど残酷ではない。実際この詩には好意的な意見を寄せてくれる人が多かったです。共感できると言ってくれた人もいた。まぁ表現者界隈だからちょっと特殊な人たちだけど(笑)そんなこともある。そんなこともあるということを伝えたかっただけです。詩の出来栄えは普通かな。

冬の花火

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冬の花火を見たかったけど、今年は見れずじまいだったな。バス停のそばのベンチは赤いから心に残る。いつかあそこで恋をしたけど、それは余りにつかのまでくしゃみのような一瞬のショックだった。彼女の髪の色さえ覚えていない。おれは彼女を認め、恋をし、そしてそのまま通り過ぎたのだ。微笑のようなものを浮かべて諦めた夢がある。これも恐らくその一つだが、奇妙に甘い香りをさせて筋肉を弛緩させる。癒しとも似るらしい、あとに残した夢のかけらは。赤いベンチは今日もあるから彼女とはまた会うかもしれない。見かけるかもしれない。だがおれはそれを望んでいないのだ。大体、彼女の顔を忘れているので彼女と気がつくかどうか。おぼろげなのは月だけど彼女の顔もそれと似ている。おれがおかしいのかな。午後である。午後の四時半。夕陽をはらむ太陽は感傷的で苦しいものだ。クッソわびしい人生も取るに足らない栄光も、多少知ってはいるけれどもっと微妙な中間にいる。嬉しいことが一つある。こんな時にはちっぽけな、哀れなほどにちっぽけな自分をみいだすことが出来るのだ。恐らくおれの生命力は結構強い。死亡フラグを立てたままなおも死なないおれである。願うのはちっぽけであること、或いは花火のようにパッと散ること。冬の花火を見たかったけど、今年は見れずじまいだったな。盛りのついた猫の鳴く夜の窓辺で煙草を吸った。


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いや、いま自分の書きたいものを書いただけです。だから特に言うこともないんだけど、敢えて何かを言うなら、自分の言葉で自分の心を語るということは、テクニックより遥かに大事、とおれは思っている、ということかな。テクニックは時に作者と読者の距離を縮めてくれるから、馬鹿に出来ないものではありますけどね……

ちなみにこの文章にもフィクション要素があります。実際のおれの生活は(客観的に見れば)そう暗くないかな。

ふたり(過去作)

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ボクはね
雲にはいつもむかついている
空を翔べたら嬉しいけどさ
空の青さの邪魔などしない
それをするのは雲と思うね
でもボクは雨の日ならば許しているよ
長靴を履けるんだから
おかしなことと思うかな?
つまり男は難しいのさ
ボクという男はね


♀️

あなたとってもクールだわ
いつかワタシと踊ってね!
みながふたりを羨むでしょう


♥️

そして紳士は姫のため
お山をひとつ作ったと


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昔の作品。どうという作品でもないんだけど、ただ一般の人からは可愛い!て言ってもらえましたね。評判良かった。嬉しいものですよ。まぁ出来は可もなく不可もなくかも。ひさびさに日記を書きたいな……

記号が端に寄ってしまうのは何故。

こだま

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ビル街には谷間がある。こだまがある。グラスを満たす赤い叫びを聞く者ならば知っている。ここにあるのは置いてきぼりの声、風にちぎれてぼろ布のように破れ去った声である。数秒遅れの現実や、予知夢のような現在、しかしここには未来が足らずいつもくすんだ思い出ばかりある。叫びをはらむ真っ赤な喉を秘め隠してはいるけれど……。夕刻の蝙蝠(こうもり)をたまに見るのは良いものだ。新鮮な驚きがある。ハッとするような速さでビルとビルとのあいだを飛び交うもの、それはその速さによって今をつかのま繋ぎ止めもする。そんな時には声も新鮮である。光のように捉えがたい輪郭をしているが、ともかく声が新鮮である。しかし時間の手触りを感じられるわけではない。思い出だけが触れられるので、ここにはいつも数秒遅れの「今」しかないのだ。こだましかない。或る人はこう述べた。「声とこだまのあいだには忘れられた脈拍がある」……忘れられた脈拍、さっきあなたのした呼吸。これは奇跡のような日常である。奇跡のような……。未来を待っています。


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小難しいかな。そうでもないほうなんだけど。まぁ難しげなのも一つの手法と捉えることも出来るかなと。おれなんかはあんまり分かりやすい本だと物足りなくて、ちょい難しげな本のほうが好きです。読書で苦労したいのかな(笑)まぁでも、余り支持されない文章ではある。人気が出ない。