ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

冬の花火

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冬の花火を見たかったけど、今年は見れずじまいだったな。バス停のそばのベンチは赤いから心に残る。いつかあそこで恋をしたけど、それは余りにつかのまでくしゃみのような一瞬のショックだった。彼女の髪の色さえ覚えていない。おれは彼女を認め、恋をし、そしてそのまま通り過ぎたのだ。微笑のようなものを浮かべて諦めた夢がある。これも恐らくその一つだが、奇妙に甘い香りをさせて筋肉を弛緩させる。癒しとも似るらしい、あとに残した夢のかけらは。赤いベンチは今日もあるから彼女とはまた会うかもしれない。見かけるかもしれない。だがおれはそれを望んでいないのだ。大体、彼女の顔を忘れているので彼女と気がつくかどうか。おぼろげなのは月だけど彼女の顔もそれと似ている。おれがおかしいのかな。午後である。午後の四時半。夕陽をはらむ太陽は感傷的で苦しいものだ。クッソわびしい人生も取るに足らない栄光も、多少知ってはいるけれどもっと微妙な中間にいる。嬉しいことが一つある。こんな時にはちっぽけな、哀れなほどにちっぽけな自分をみいだすことが出来るのだ。恐らくおれの生命力は結構強い。死亡フラグを立てたままなおも死なないおれである。願うのはちっぽけであること、或いは花火のようにパッと散ること。冬の花火を見たかったけど、今年は見れずじまいだったな。盛りのついた猫の鳴く夜の窓辺で煙草を吸った。


※ 画像はフリー素材です。

いや、いま自分の書きたいものを書いただけです。だから特に言うこともないんだけど、敢えて何かを言うなら、自分の言葉で自分の心を語るということは、テクニックより遥かに大事、とおれは思っている、ということかな。テクニックは時に作者と読者の距離を縮めてくれるから、馬鹿に出来ないものではありますけどね……

ちなみにこの文章にもフィクション要素があります。実際のおれの生活は(客観的に見れば)そう暗くないかな。