ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

愛も憎悪も失くしたならば

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いまは憎悪も肯定している。憎しみを欠いた関係は大抵愛も欠いていますから。若げの至りでおれを愛した、あの頃のおれを愛した少し愚かな人がいたけど、彼女はきっと正しく病んでいたのです。いまのおれなら彼女をもっと大切にするでしょう。しかし彼女はいまのおれより当時のおれを愛するのでは。いまおれがごく当たり前に見せる優しさと、当時のおれがごくごく稀に見せた優しさとでは、彼女にとって全然違う価値を持つはずです。憎しみのある場所に偽りのない愛がある。徳も倫理も打ち砕くこれはひとつの現実でしょう。だからといって、おれは再び冷酷になろうとは思わないけど。時たま想うことがあります。いま街で彼女と出くわしたら? 幸運か不運によって眼と眼のかち合う無言の衝撃。いまのおれなら彼女に対し、どんな対応をするだろう。いまの彼女はおれに対して、どんな態度で臨むのだろう。おれは想像するのです。まずは勿論、当たり障りのない会話をする。いまは何をしているか、仕事の話、健康の話。頃合いを見計らって、おれは謝罪しようとするかもしれない。謝罪したいという欲求を感じると思うのです。あの頃は悪いことをした、自分の馬鹿さ加減に愛想が尽きる。でも彼女は顔色ひとつ変えず、妙に冷静にこう言うのです。「そう、そんな時代もあったわね」いまの彼女にしてみれば、あんな思い出どうでもいい。愛も憎悪も失った二人のあいだにあるものは、多少気まずい挨拶だけというわけです。実際の彼女は優しい人だったので、そんな態度は取らないかもしれない。都合のいい想像を抱かないのはおれなりの誠意です。罪の意識を抱くのならば、甘えた真似もしないもの。再会の場面は駅ビルがいいなとは思いますけどね。通過するためにある場所、多くの人の余韻で満ちる。

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