ある蒸し暑い夏の午後

ときどきポジティブ

初恋

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死んだのは祖母である。赤い硝子のビー玉をひとつ落として死んだのだ。こと切れた瞬間のこと、ベッドから落ちたものがあり、みなが不思議に思ったという。何も握ってはいなかった。ベッドの上のどこかに紛れていたのだろうか? 彼女の孫が疑われた。小学五年の孫がおり、だから彼女は祖母だったのだ。通夜とは殯(もがり)のなごりである。線香をあげ、そして見た。彼の見たのは抜け殻であり、かつては祖母と慕った人だ。祖母ではあるが祖母でない。祖母のかたちをしたものだ。殯とは何だろう? それが何かは知らなかったが、その言葉には陰を感じた。魂を宿していない肉体はどうしてこうも厚かましいのだろう。いやな存在感がある。以前に祖父を亡くしてたから、彼はもう怖れなかった。怖れたりするものか。線香をあげ、そして見た。祖母はここにはいなかった。殯とは何だろう? そんなことなど知らなかったが、無意味なことと知っていた。男の子は、従姉のことを思っていた。彼女に会いたかった。彼は彼女を怖れてもいた。彼女と会うことを。女の子のほうが早く大人になる。男の子にとって、それは何か恥ずべきことだ。そして彼は男の子である。が、従姉は大人にならずに黒くなっていた。こんなに黒かっただろうか? 記憶の中で美化されて、彼女はやけに美しく、そうして白くなっている。彼女は何も変わっていない。彼が彼女を白くしたのだ。背丈も彼が追い越して、彼女はやけに小さく映る。だが彼は、眼の前の彼女を愛そうとはした。おれは彼女が好きなのだから、彼女を悪く見てはならない。彼女を愛そうとした。彼があんまり優しいもので、彼女は彼を変な眼で見た。「あなた大人ね」と、彼女は言った。そして二人はこんな話をしたのである。「あれは魂だよ。死んだから魂が落っこちたんだ」すると彼女は笑って言った。「違うよ。もっと深い意味がある」「どんな意味?」「お婆ちゃんが昔好きだった人。その人から貰ったの」「赤い硝子のビー玉を?」「そ。私たちの歳の頃に」彼にはそれが深い話とは思えなかった。事実、余り深い話ではなさそうだったが、逆らいはしなかった。「そっか。でも、ベッドの上には何もなかった。おかげでおれは疑われたよ」「不思議よね」彼は彼女を見ていた。浅黒い肌はなんだか薄汚れて映る。額にはできものがある。が、彼女の声が好きだ。「想いが強すぎたんだと思う。その人のことが好きすぎたのよ」彼女の声は甲高くない。落ち着いていて、大人みたいだ。彼女を愛そうとした。が、彼女は別のものを感じていた。愛していると感じてた。

※ 画像はフリー素材です。

実は、今より少し昔の設定です。子供が電話を持っていない時代。